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インスタレーション「不可視の領分」について

 水野英彦(本展director・美術評論家)

           
今回、作家が行ったこと。第一にアートラボ・アキバの天井高4mの空間いっぱいに映し出されたビデオ・インスタレーション。第二にはもう一台のプロジェクターとブルーレイ・ディスクに記録されたハイビジジョン映像を用いた小さなビデオ・プロジェクション。双方とも、2011年の3月26日に東京23区の水源である葛飾区・金町浄水場がセシウム汚染された直後に作家によって撮られた荒川区東日暮里の作家のスタジオの水道水や、同年4月11日に撮影された調布・深大寺の流水などがモチーフとなっている。この時点で作家は、作品制作の素材として画像を撮影したわけではなく、水の放射能汚染といった前代未聞の出来事からくるショックから無意識にビデオカメラを操作していたという。

さらに、作家は大量の木材により入口付近2m幅に仕切りを建て、部屋のような暗い空間を現出させた。鑑賞者は、このウナギの寝床状の空間の意図的に作られた隙間より壁面のビデオ映像を覗き見することとなる。さらに映写された映像の真下に大きな水のプールが作られている。映像に組み込まれた、たとえば"In visible Level 7 "といった左右逆転の鏡像文字が、水鏡となったプールに反射して正像を結ぶ。そのため投射されたビデオ画像より、さらなる反射である水面のイメージに気を取られる仕組みだ。なぜ鏡像なのかは、たとえばラカン心理学に深く立ち入って解釈することも可能だろうが、ここではやめておこう。覗き穴がそれほど大きくないため、同一位置からでは全体像を見ることができないことが、未曾有の放射能漏洩に直面したあの当時の不安定な感情と視覚、あのめまいをよみがえらせるようでもある。

菅間は2010年8月に奈良・平城宮跡で開催された「時空 Between time and space」の際、「Water Mirror Boats」なるインスタレーションを朱雀門前の巨大空間に80mにわたり設置したが、入江泰吉の古い写真、薬師寺の西塔の水溜りに東塔が反射しているものだが、これからヒントを得ている。救命用ゴムボート数隻に、奈良ゆかりの墨汁を流し込み、朱雀門の断片を反射させるというアイデアだった。このときはさらに奈良の地で生まれたとされる世阿弥の有名な能、「野守」に登場する「水鏡」にもインスパイアーされていた。世阿弥があの世の魂を表現するのに、水鏡を用いたのは、水というものが根っこでアニミズムに連絡しているわが国の心性と結びついているからだ。それは元来、豊かな水源を持つ日本という領域の共有された刹那の、あるいは幽玄の美意識だったともいえよう。


翻って、現在、日に400トンの地下水や冷却水を瞬時に汚染水に変えてしまう状況はなお継続している。原発事故の完全終結などは遠い先の話に思える。2年前の2度の爆発で東日本一帯の野山は放射線汚染を起こし、雨水に洗われて、河川に放射能が流れ込んでいるのが現実だ。試算によれば、たとえば荒川の河口が東京湾に流れ込む箇所の汚染濃度が最も高くなるのは、まだ2年くらい先だという。また、汚染水が太平洋に流出して豊かな海を汚し漁の民たちに悪しき影響を及ぼしていったことも記憶に新しい。

作家が、水に対する真摯な美意識と事故後の状況にかかわる危惧を持っていることは、まったく共感できる。その美しき水を汚染していったことで、精神的な安定を欠くことになったとしても、とくに敏感な体質ということでもないだろう。潜在的には日本の誰もが同様にそのことを抱え込んでいるのではないか。実際、菅間の撮影した水の景色は、ただの映像として眺めれば単に美しい。しかし、これが 3.11直後に撮られたものであると分かると単に美しいとはいっていられない感情が沸き起こる。今回の「不可視」という問題は、元来視覚に随分と負ってきた美術なる領域から見た場合、単に美しいものは場合によっては美しくはないという感覚を強くさせる。かつて川端康成がいった伝統からの意識、「美しい日本の・・・」は、はたして原発事故以来そのように肯定的に語ることができるだろうか。 

菅間圭子は1995年を移行期として、絵画から完全にインスタレーションの方向へと転換し、以後いくつかの例外はあるにせよ、基本的にはある種の"放置された "場をインスタレーション作品の中に現出させてきたといえるだろう。

そこでは個々の断片が、日常性および象徴体系の中から解き放たれ、自由に鑑賞者によってそれぞれの物語を紡ぎだし、意味や価値の体系を横断し内部から崩すような指向性を持っていたと思う。

作家である菅間は、ただそういう場を現出させ、投げ出すことしかせず、作家自身の主張や意思を提示することはなく、意図してある種の曖昧な領域を残していたことは確かである。

またそれは、ゲシュタルトやポエトリー(詩的創造)の作用とも密接にかかわる作業だったと思う。それぞれの作品の具体的な共通点としては、互いに連関の見いだせないようなイメージ/言語/物体/映像/サウンドが、ヒエラルキーを構成することのないように細心の注意を払って提示され、時にそこにパフォーマンス的な要素や、鑑賞者が参加するような双方向的な要素も加味されることがあった。これらの作業を通してあえて菅間が主張していたことは「私は何も言いたくない」ということですらあったように思う。

求心性を嫌い、2つか3つのプランを同時に並列するような現場構成も心がけていた。それぞれのグループの関わりは表面的には見いだせず、いってみれば階差数列の何段階も下部のレベルで、うっすらとある流れが存在しているというあり方を模索していた。(もちろんテーマを強く打ち出した2008年、高台寺での作品のようなケースもあるにはあるが。)

いずれにせよ作家の態度は、創造者や主張者のそれではなく、常に何かに対しての解釈や観察、現象への干渉などをベースにしたものであり、よい意味で、創造・造形への意思や自己主張が極めて希薄な作品であると考えられる。

 そんな作家が、「3月のインスタレーション」は100パーセント放射能汚染がテーマとなる、と伝えてきた。

インスタレーションやパフォーマンス・アートは現象を扱い、要素が複雑になるので、絵画・彫刻よりもより本人の状況がより強く出てしまう。

菅間の3.11以後、最初の作品は、アートラボ・トーキョーの「花見展」(2011年3月末)出品作品で、映像・サウンドインスタレーションだった。「花鎮め」という伝統的神事をモチーフに(これは桜花が散る頃、疫病が流行ることが多かったので疫神を鎮めるための祭事。遅くとも奈良時代から確認される)、放射能汚染の拡散をとどめられますようにと、ある種の祈るような気持ちを持って制作された作品だった。このこと自体、それまでの菅間のファイン・アートを逸脱する行為だったとも思う。

次の作品は4月のイタリアでのパフォーマンス作品「アガジ・ベベル―おいしい水」(ボサノバの名曲を題材にし、逆説的に心地よさを否認する行為であった)で、これも震災・原発事故がテーマ。この作品は8月のアートラボ・アキバでの「濃霧」のレセプション時、続いて秋のヨコハマ・トリエンナーレ関連企画「新・港村」でも発表した。

同パフォーマンスは、草間彌生が60年代より行ってきた水玉自己消滅「セルフ・オブリタレーション」を本歌取りしているのは明白だ。草間は、他者に対し、水玉を身体に描き続け、最後に自らにも描くことで、自他の境界を消滅させ、自己を宇宙と同化させることで行為を終える。後年は絵具を用いず、丸いカラーシールを貼り付けるやり方に変化していった。それを受け菅間は、まず、セシウム、プルトニウム、ストロンチウムなど、放射性物質の名が数多書かれた異なる色の紙を床に散乱させる。そののち、各色に対応する丸いカラーシールを他者に付け、最後は自分にも付けていくのである。背後には「アガジ・ベベル―おいしい水」が流され、時折、彼女がキーボードでノイズを被せてゆく。ここで草間の行為の意味性は、福島の特殊性のなかで換骨奪胎され、一種PC(ポリティカル・コレクトネス)な表現へと変換される。ジャン・ボードリヤールのいうシミュレーションが、オリジンとコピーの絶え間なく続く連鎖のなかでプライオリティを消失してゆく論旨だったのなら、美術におけるシミュレーショニストは、それを、既に評価されたアート作品を貶めるという意味で権威としての美術史への批判としてダダ的に用いたといえるが、菅間の水玉自己消滅への言及は草間の時代とはまったく別のものとして表れ、放射能事故に関する寄る辺なさと同時に芸術行為の意味そのものまでも置き換えてしまう強烈なものであった。

このように、震災を境に、それまでの菅間作品が保持していた"意図された"曖昧領域や"放置状況"が作品から著しく減退しているともいえよう。

それでもいくつかのペインティングに限っていえば、作家はこの2年間、放射能というテーマから離れて制作することはできた。けれども今回、まるで作家の内部にあるアート制作回路や知的な作業をつかさどる部位に連絡する神経がマヒしてしまったかのように、以前のような作品が何1つプランできなかったという。

放射能汚染のさなかに生きているという、逃れようのない事実が、自分で思っている以上に深いところで作家を圧迫し、ダメージを与えているようだ。これはちょうど肉親を亡くしたときの衝撃に似ている感じがする。事実なのだが、その事実を受け入れられない感じとでもいおうか。ぽっかりと心に空白ができる。しかもこれは「目に見えない」事実なのだ。さらに情報、報道が錯綜し、何が本当で何が嘘なのかも定かにわからないという状況もある。

けれどもこの状態をキチンと作品化していかなければ、今後新たな展開ができないだろうと作家は思うようになった。思えば菅間が1995年、いったん絵画を捨てたきっかけの1つは、阪神淡路大震災だった。以後1999年までペインティングをペインティングとして描くこと、すなわち造形を中断している。この時期最後に描いた絵画作品は"神戸"にわざわざ取材した大震災の風景だったと記憶している。

いずれにせよ、作家は、放射能をテーマにしたインスタレーションをここに"置いて "おかなければ、先に進めないという思いから今回の発表となったのは間違いがない。このことは多かれ少なかれこの島国から逃れられない私たちの自己投影された像なのだと思う。














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菅間圭子

インスタレーション
「不可視の領分」

2013
菅間圭子

「Water Mirror Boats」 (Detail 部分)

2010年8月に奈良・平城宮跡で開催された「時空 Between time and space」。
薬師寺の西塔の水溜りに東塔が反射している古い写真。
菅間圭子パフォーマンス
"Agua de Beber" 
2011年8月20日
 映像+ノイズ+アクション
アートラボ・アキバ
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